神奈川県秦野市にある曹洞宗の寺院、井宮山大用寺のホームページです。

大用寺の歴史

如意観音歴住塔

 大用寺は山号を井宮山(セイキュウザン)、寺号を大用寺とする曹洞宗の寺院です。
 御開山は、天正十年(1582年)、真翁宗達大和尚によるが、織豊時代の天正十九年(1591年)宗達遷化、と記録にある

 なお、天正十九年には、当寺と何らかの関係があったのではなかろうか、と想宮(イノミヤ)さん)に、領主の御信仰厚く社領三石五斗の御朱印を賜る、とあり、往昔より井宮神社と称し老杉の樹根より清水滾々と湧出、全町を潤し……。

 また、当寺は再三の火災に遭っている。明治十年(1877年)6月6日、修身館(本町小学校の前身)が類焼の厄に遭い、校具をすべて消失し、同年7月校具を新調、学校通学村有志者の義援金を以って調達、当寺本堂を修身館校舎に充て、火災後の授業再開、とある。かたわら、上宿観音堂裏に新校舎着工。当時の通学区域は、曽屋村、今泉村、上大槻村、尾尻村、大竹村、平沢村、落合村、名古木村の八ヶ村。同年12月14日夜、修身館仮校舎となっていた大用寺本堂を焼失。寺伝は現存されていない。本尊は、木彫りの如意輪観音像で、本堂内に安置されている。一般公開はしていない。

 如意輪観音は、如意宝珠と輪宝(リンポウ)とを持つ観音菩薩である。如意宝珠とは、意の如く金銀財宝や衣服飲食などを出し、病苦を除く空想の宝珠であり、輪宝とは、仏教における神話的理想君主である転輪(テンリン)聖王が感得した宝器で、王のゆくところ必ず前進して四方を制圧するものだという。本来は、インド古代の戦闘に用いられた戦車を意味するのであろう。仏陀が他を教化するのは転輪王が敵を破るようだというところから、この輪宝が仏の象徴(法輪)とされる。如意輪観音は如意宝珠をもって衆生に財宝を与え、法輪を転じて衆生の迷いを破る(転法輪)菩薩だとされるのである。

 本堂に向かって左奥には、累代の住職を弔う立派な墓地がある。墓地の中央には歴住塔があり、その墓石の周囲には、歴代の住職の銘が刻まれている。